富山人の旅ログ

富山県在住。県内の色々な場所を巡ります。

富山市・神通川の千本桜を見に行く

こんにちは、たかゆーです。

3月30日のことになりますが、神通川の河川敷に咲き誇る千本桜を見に行きました。

神通川は飛騨地方の山から流れてくる一級河川で、富山県のほぼ中心部を流れ、最終的に富山湾へ注ぎます。かなり大きな川ですが、その川の両岸に千本にも及ぶ桜並木が延々と続いているのです。

そんな桜並木の散歩道をあるいてきました。

千本にも及ぶ桜並木は圧巻です。小鳥のさえずりや川のせせらぎの音などに耳を澄ませながら、のんびりと桜を鑑賞できます。

 

桜と立山連峰

うっすらとですが、立山も見えました。春霞でぼんやりしてみえるのでしょうね。立山にはまだ多くの雪が残っているのが分かります。これから夏にかけて、大量の雪解け水が平野部に流れてきます。長く厳しい冬が明け、北陸にも春がやってきたんだなあ~と感じます。それにしても桜と雪のコラボ、いいですねぇ~。

 

オオイヌノフグリ

地面に目を落とすと、オオイヌノフグリが咲いていました。桜も見事で目を奪われるけど、他にも春は綺麗な花がたくさん咲きますよね。オオイヌノフグリは小さくて、薄い青色の花弁がかわいらしいですね。

 

神通川立山

今でこそ、神通川は綺麗な水を取り戻すことができましたが、かつて神通川は公害によって汚染されてしまい、流域住民を苦しめた悲しい過去があるのです。日本4大公害病に挙げられるイタイイタイ病です。

 

神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムという物質が神通川の水を汚染し、流域で育った米などを通して、体内に入ることで発症したものです。

 

骨がもろくなり、ちょっとしたことでもすぐ骨が折れ、身体中に痛みが走り、寝たきりになってしまうのです。患者が「いたいいたい」と泣き叫ぶことから病名が命名されるほどです。また、当時は原因が分からず、患者とその家族は周りの人から差別を受けたという話もあります。

 

今を生きる私たちは、これを過去の話と考えてはいけませんね。二度と同じような過ちを繰り返さないようにしなければならないです。

 

ちなみにこの桜並木は、昭和20年代末、周辺の町村が合併した際に、合併を記念して地元の住民の人達が植えた物らしいです。千本もの桜を植えるってすごいですよね!

悲しい歴史はありつつも、当時の地元の方たちが真心を込めて植えたであろう桜を見ることができるのはうれしいものです。この桜並木は汚染された川の流れが再び綺麗な川へと再生していった姿を見つめ続けていたんですね。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました!

 

 

富山平野を見渡す「風の城」を訪ねる

こんにちは、たかゆーです。

この間、富山市郊外にある「風の城」という施設を訪れました。

「風の城」とは何なのか。その正体は城ではありません。猿倉山という山の頂上にある展望台のことなのです。

風の城

ただ、全くお城と無関係であるかといわれればそうではなく、かつて猿倉城というお城があったといわれています。

しかし現在では城の遺構などは全くなく、そもそも猿倉城自体が、数少ない文献資料によってその存在が書き記されているにとどまっており、謎多き城であるといえます。

ウィキペディアで少し調べてみると、室町時代末期、越中との交易によって財を成した飛騨国の武将塩屋秋貞が、越中進軍の拠点として猿倉山の頂上に築城したということらしいです。

しかし、塩屋氏自身は合力していたはずの上杉家を裏切ったことが原因で、上杉軍により殺されてしまうという末路を迎えます。その後猿倉城は、飛騨国国司姉小路頼綱支配下に置かれたものの、1585年におこった富山の役(羽柴秀吉ら率いる大軍で越中に進軍)で、富山城主佐々成政らとともに降伏。以後、猿倉城は廃城となったということらしいです。

城としては非常に短い期間で役目を終え、歴史のはかなさを感じます。

 

ということで、風の城へ向かいます。山頂の途中までは車で向かうことができ、駐車場があるのでそこに車を止め、そこから先は歩いて山頂を目指します。

 

ひたすら階段が続き、結構しんどいです。すぐ着くだろうという軽い気持ちで行くとちょっと後悔するかもしれません。

 

階段を上っている途中ですが、もう既に景色がいいです。写真左側に小さく神通川が写っています。神通川を見渡すことのできる場所なので、神通川の水運を監視、影響を及ぼす目的があったともいわれているようです。

 

息を少々切らしながらもなんとか展望台に到着です。でも、登るのにのにかかった時間は5分少々でしょうか。奥に立山も見えていますね。

 

展望台から見た富山平野です。いやー綺麗ですね。ここまで登ってきたかいがありました。飛騨国の武将さんも、ここから同じように景色を眺めていた時間があったのでしょうか。どんなお城だったのか、今となっては知るすべもなく、永遠に謎のままですね。遠い昔の時代に少し思いを馳せました。

しかし、ここから見る眺めは、昔とさほど変わらないのかなとも思います。建物は増えたでしょうが、田園地帯が広がる平野も、立山も、呉羽丘陵も、昔からありますもんね。

 

立山連峰も一応見えるは見えるのですが、手前の山と鉄塔があって、そこまで眺望はよくないですね。富山平野を一望できるスポットであって、立山を見に行くなら別の場所に行った方がよさそうです。

 

無料の双眼鏡なんかもあったりして、富山の市街地の方を見ることもできます。また、写真を取り忘れましたが、富山平野の反対側(南側)は飛騨へと続く山々が広がっています。飛騨方面から流れてくる神通川の眺めも大変いいです。

 

 

 

今回は富山市・猿倉山頂上にある「風の城」を訪れました。風の城というだけあって、私が行った時には絶えずそよ風が吹いていてとても心地よかったです。また、360度、富山の悠久の自然を眺めることができ、また一方で、少し儚い歴史のロマンも感じることができました。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

富山市・常西合口用水の桜並木

3月28日(火)

こんにちは、たかゆーです。

富山では観測史上最も早い桜の満開だとニュースで知りました。確かに今年は随分と早いなあと思います。

そんな中、常西合口用水の桜を見に行ってきました。

常西合口用水(じょうさいごうくちようすい))と言います。

常願寺川という大きな川から取水し、願寺川の西側を流れるので「常西」と言います。

合口用水というのは、昔、複数の箇所から取水していた用水路を合口化(一本化)することで、河川の氾濫時に被害を最小限にとどめる目的でつくられたものらしいです。(複数の箇所から取水していると、多量の水が平野部のあちこちに流れてしまいますからね)

 

まあ、ようするに大きな用水路のことなんですが、この用水路が遠い昔、明治の頃にできたおかげで、今、富山は水害もなく、豊かな農業や日常生活を営むことができているわけです。今では、農林水産省が選定した疎水百選にも選ばれています。

 

富山地方鉄道・上滝線、大川寺駅の目と鼻の先に、常西水神社というのがあります。用水路はこの神社のすぐそばを流れています。

桜と用水路です。この用水路にそって遊歩道があり、桜を見に散歩をしている人がちらほらいました。それにしてもすごい量の水です。立山の雪解け水がながれてきているんでしょうねえ。

 

水車もあります。ちょっとした発電もやっているようです。

 

こういう風景を見ると、富山は水に恵まれた場所なんだなあと思い知らされます。白波がたちすぎて、一瞬なんの写真か分からなくなりますね(笑)

 

常西合口用水と並行して流れる常願寺川の土手に上がってみます。川原が広すぎて常願寺川の水の流れが見えにくいですが、その向こうに見えるのが立山連峰です。雲がかかっていて標高の高い地点は見えていませんね~。富山の豊富な水はあの山々から流れてきているんですね。

 

元々、洪水対策や農業用の灌漑用水路として作られたこの水路ですが、水力発電や、富山市民の水道資源としても利用されています。一口に用水といっても、色んな使い方があるんですね。

 

 

豊富な雪解け水と満開の桜のコラボレーションは何だか富山らしくていいなあと思いました。新しい季節の到来は、心が晴れ晴れとした気持ちになる一方で、自分も新しい自分にならないといけないような気もして、どこか焦燥感を感じてしまうこともあり、いろんな感情が芽生えます。

とはいえ、春はやはりいいものです。これから夏に向けて、季節の移り変わりなんかも楽しみになってきますね。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

奈良和歌山・世界遺産めぐりの旅 後編

 

1泊2日で奈良和歌山の世界遺産を巡る旅の2日目です。2日目は和歌山の高野山を訪れます。前編の記事はこちらです。

 

kokodou.hatenablog.com

高野山への道のり

 2日目のスタート地点は南海橋本駅です。ここから電車で、南海高野線で50分ほどの乗車です。橋本駅から極楽橋駅までの区間は山岳地帯を通るため、かなりの勾配があります。そのため、「ズームカー」と呼ばれる車両の長さが短い特殊な電車が走っているそうです。

 

南海高野線のズームカー

 平坦区間では、はやい速度で走ることができ、山岳地帯では大きな牽引力を出す車両です。

 

車窓の風景

車窓の風景です。まだ山岳地帯に入る前、紀ノ川流域の街並みです。北陸の黒光りの屋根瓦とは違う、灰色の屋根瓦が並びます。山岳地帯に入ると、カーブが多くなり、電車のスピードも落ちます。ゆっくりと山を走っていき、終点の極楽橋駅に到着です。

 

極楽橋駅より先はケーブルカーで、高野山駅まで向かいます。ケーブルカーは5分ほどの乗車です。そしてその先はバスで高野山の中心部まで向かいます。まるで、富山の立山黒部アルペンルートみたいですね(笑)高野山は車でも行くことができますが、公共交通機関で行くと、少し大変ですね。

 

パンフレットによると、高野山で必ず押さえておきたい3つのスポットがあるらしいです。それが、

らしいのです。ということで、今回はその3つを順に回っていくことにします。ケーブルカーの終点、高野山駅で、バス一日フリー切符を購入し、バスに乗り換えます。まずは奥の院へ行ってみましょう。

 

高野山

 

奥の院

 奥の院弘法大師空海の御廟がある場所です。その御廟へ続く約2キロにわたる参道がとてもよかったです。

奥の院入り口

参道

参道の両脇には、数多くの墓石が並んでいます。昔の大名のお墓もあれば、有名企業の名前が刻まれた墓石もあります。私の地元富山の地名が故人の名と共に刻まれた墓石まであり、この地が時代、場所を問わずに、信仰を集め続ける霊場であることが分かります。

この参道はとてもよかったです。神聖な場所であることを肌で感じることができます。杉木立からこぼれる太陽の光が、無数の墓石を優しく照らしだす光景が、心に残ります。

参道は2キロとやや長めですが、その長さを感じさせないほどに素晴らしい場所でした。

また、奥の院では、今も弘法大師空海が瞑想を続けていると伝えられており、厳かで神聖な場所でありました。地元富山からは遠い場所ですが、来てよかったなあと思える場所でした。

 

昼食は奥の院の近くにある「レストラン楊柳」で精進料理を食べました。お腹にやさしいです。

金剛峯寺

 再びバスで移動し、次は金剛峯寺にやってきました。金剛峯寺高野山真言宗の総本山です。

金剛峯寺

立派なつくりに圧倒されます。高野山真言宗は全国に3,600の寺があり、信徒数は1,,000万人にもなるといいます。現在の建物は文久3年(1863)に、建てられたものらしいです。

寺内には、多くの見どころがありますが、写真撮影できない場所がほとんどでした。自分の目に焼き付けるのが一番ですね。

寺内には、数多くの襖絵があり、その襖絵を鑑賞するのが中々面白いです。個人的に良かったのは、別殿にある襖絵ですね。空海の生涯を要所要所で切り取り、絵画にしたものが描かれています。(唐に留学した際の当時の中国の風景など)細かに描かれているのでつい見入ってしまいました。

また、山本探斎による柳鷺図が描かれている「柳の間」も見ごたえがありました。

 

蟠龍庭

また、国内最大級の広さを誇る石庭なんかがあったりもします。石庭はいつ見ても心が癒されます。

 

壇上伽藍

金剛峯寺から壇上伽藍までは、歩ける距離なので歩いて移動。壇上伽藍は、空海が創建した真言密教の根本道場。人里は離れた高野山の地で、空海を始めとして多くの僧が修行に励んできたわけですね。

 

入口にあたる中門

入り口に当たる中門をくぐります。

 

金堂

すると目の前に現れるのが金堂です。金堂は高野山開創当時は講堂と呼ばれていたらしく、山内の修行僧たちが一堂に会する場所だったらしいです。7度も再建がなされ、今の建物は昭和の時代に建てられたものです。中に入ると、たくさんの僧たちがお経を読んでいました。

根本大塔

金堂の横に立つ大きな塔は根本大塔と言います。でかい…。ちなみに手前のかわいいキャラクターはこうやくんというマスコットキャラです。こちらも、再建が繰り返され、今の建物は昭和時代に完成したものということです。お金を払って、中に入ると、胎蔵大日如来金剛界四仏などといったこれまた大きな仏像が鎮座しています。

こうして、3つの見どころを無事見ることができました。さすが日本一の霊場と言われるだけあって、神聖で厳かな雰囲気が漂っており、背筋がのびるような、そんな場所でした。宗教というと、悪いイメージを持ってしまう人も多いとは思いますが、宗教というのは、人が幸せに生きられるようになるために存在するのだと私は思います。今回高野山を訪れて、改めて強くそう思いました。ただ、宗教を私利私欲のために悪用している人がいるという事実もありますが…。

高野山高野山高野山内には、他にも、霊宝館や徳川家霊台、金剛社三昧院など見どころを挙げればきりがないほどにあるのですが、時間の都合上すべてを見ることはできず、帰ることにしました。次の機会のお楽しみですね。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

富山市・松川の桜を見てきた

こんにちは、たかゆーです。

今年の冬は暖冬?気味だったのか、桜の開花が随分と早いです。何か気付けば咲いていたという感じ。富山市の松川沿いの桜も随分と花開いています。満開とまではいきませんが、桜を見に、松川沿いを散歩してきました。ちなみに松川は日本さくらの名所百選のひとつに数えられます!

 

桜は7分咲きといったところでしょうか。この日の富山市は天気が悪く、小雨が降っていました。しかし、小雨に濡れる桜もそれはそれで風情があっていいですね。

 

松川から富山城址公園へ続く小道には、露店が数軒並んでいます。満開になる頃には、天気が良くなっていてほしいですね^_^人もたくさん来ることでしょう。

 

露店が連なる小道を抜けて、城址公園にやってきました。写真は富山城です。正確に言うとこれはお城ではなく富山市郷土博物館の建物なのですが、城を模して造られているため、富山城と呼ばれることが多いです。

 

城址大通りです。この方向にまっすぐ行くと、富山駅に着きます。冬は街路樹にイルミネーションが施されて、とても綺麗な通りとなります。

 

今年は3年ぶりにチンドンコンクールが開かれるんですね。日本各地から集まったチンドン屋が、太鼓や三味線を鳴らしながら、富山市中心部を練り歩きます。とても派手な衣装やパフォーマンスを披露してくれ、街が賑やかになります。自分も都合がつけば見にいきたいなぁ。

 

右手の建物が富山市役所です。市役所には展望台があり、晴れた日には立山が良く見えます。無料なので気軽に行くことができます。

 

桜の時期になると、松川では遊覧船が運行されます。今日は雨だから運休なのかな?

 

静かな川面に映る桜がとても綺麗です。松川は今でこそ、小さく静かな川ですが、もともと神通川という大きな川だったのです。富山の街を大きく蛇行する形で流れていた神通川は、洪水のたびに蛇行した形が原因で土手が決壊して大変だったらしく、明治の頃に川の流れを真っ直ぐにするべく、河川工事が行われました。その工事のおかげで、神通川はまっすぐ流れるようになり、かつての蛇行していた頃の名残が、この松川となったのです。

 

桜橋電車通りより、路面電車と松川の桜のコラボレーションです。

 

もう一枚パシャリ。

 

今日は小雨の降る中のお花見でしたが、満開になる頃には晴れているといいですね!満開になったらまた来たいです。

 

最後まで、ご覧いただきありがとうございました!

 

 

奈良和歌山・世界遺産めぐりの旅 前編


1泊2日で、奈良、和歌山の世界遺産を巡ってきました。奈良では興福寺法隆寺を、和歌山では高野山を参拝してきました。世界遺産を巡る旅にした結果、寺ばかり巡るという少々渋い一人旅となりました(笑)。もともと寺社巡りが好きなのでそれはいいんですが・・・。

旅の前日に、京都で別の用事があったので、京都から出発します。

京都出発、奈良・興福寺

京都の地下鉄四条駅から近鉄奈良駅まで直通の急行に乗ります。

50分ほどで奈良に到着です。

近鉄奈良駅・鹿のイラストがかわいい

近鉄奈良駅

関西はJRより私鉄が発達しているため、私鉄沿線の方が街が発展していることが多いですね。奈良も、近鉄奈良駅周辺の方が奈良の中心部に位置しており、にぎわっている印象がありますね。

東向商店街

近鉄奈良駅そばにある東向(ひがしむき)商店街です。観光客向けのお店や、チェーンのファストフード店なども充実しており、人通りが多く、にぎわっています。富山の総曲輪商店街も、チェーンのお店なんかがあれば、もっと人も来るだろうなぁ、と考えたり…。

興福寺境内

興福寺にやってきました。歴史はそこまで詳しくないですが、興福寺藤原氏の氏寺として、710年の平城遷都と共に創建されたらしいです。

しかし、興福寺の起源である山階寺の時代も含めると実に1300年以上の歴史があるお寺です。古都奈良の文化財で構成される世界文化遺産の一角をなすお寺でもあり、五重塔や阿修羅立像などを始めとした、多くの国宝、重要文化財が残っています。

五重塔

五重塔、かっこいいですねえ。現在の塔は1426年に建てられたものらしいです。

 

中金堂

こちらは中金堂と言って、境内の中心にある大きなお堂です。このお堂は2018年にできたかなり新しいものらしいですね。中金堂は何度も焼失と再建を繰り返していたらしいですが、1717年に焼失した後には、財政難により再建されなかったそうです。その約100年後に仮堂が建てられましたが、2000年になって、老朽化のため取り壊されたそうです。そして、その跡地に作られたのが、今の中金堂なのです。

 

東金堂

中金堂に対して東に立っているため、東金堂と呼ばれるお堂です。中には重要文化財である本尊薬師如来坐像を始め、十二神将座像(国宝)や四天王立像が安置されています。とても見ごたえがありました。

 

そのあと、国宝館にも足を運びました。ここでは、有名な阿修羅像を見ることができます(顔が三つ、手が6本の像ですね)。阿修羅は八部衆に属する仏教の守護神です。阿修羅像は日本各地の寺などに残されていますが、奈良の興福寺の阿修羅像が日本最古のもので、おそらく一番有名な物でしょう。

 

奈良公園にも公園にも行ってみます。滅茶苦茶鹿がいますね。公園以外にも、普通に鹿が街の中にいるので、面白いです。こんな大きな野生動物が街の中をうろついている街なんて奈良くらいじゃないでしょうか(笑)外国人観光客も多くいましたが、鹿の可愛さに思わずにっこりしていましたね。

 

かすうどん

お昼ご飯はJR奈良駅前にあるうどん屋さんでかすうどんを食べました。かすうどんとは、牛の腸を長時間油で揚げた「かす」をトッピングした大阪の名物らしいです。うまみが凝縮されていておいしかったです。

 

法隆寺

昼食を済ませ、JR奈良駅から大和路快速に乗って、法隆寺を目指します。法隆寺駅という駅があるのですが、駅から法隆寺までは歩いて20分ほどかかり、まあまあ遠いです。一応バスもあるのですが、ちょうどバスが出て行ってしまい、次のバスが来るまでの間に歩いたら法隆寺に着くので、歩くことにしました。(ただ、法隆寺境内も見どころが多いため、結構歩きます。そのことを踏まえるとバスを使った方がいいかもしれません)

法隆寺までの道は、あんまり観光地っぽくなく、普通の街並みという感じでした。本当に法隆寺なんてあるのという感じです。しかし、20分ほど歩くと確かに法隆寺に続く松林の参道が現れます。

法隆寺参道

そして、法隆寺の中門と五重塔が現れました!法隆寺飛鳥時代の姿を今に伝える世界最古の木造建築として知られます。日本で一番最初に登録された世界遺産でもあります。

法隆寺五重塔はやっぱり感動しました!日本最古の五重塔です。1300年以上前に創建された五重塔ですが、地震大国日本においても倒壊しない当時の建築技術の高さに驚かされますね。火災などにもあわずに現代まで当時の姿で残されているのは奇跡のように思えます。

金堂と五重塔

法隆寺境内はかなりひろく、五重塔などがある西院伽藍と、夢殿がある東院伽藍に分けられます。有名な百済観音像なども見ることができ、見どころは多いです。ただ、かなり歩くので、次第に疲れてきました(笑)

法隆寺を参拝し終えた後は、路線バスに乗って、王寺駅まで移動しました。王寺駅法隆寺駅の一つ隣の駅です。王寺駅からJR和歌山線に乗って、和歌山県橋本駅まで向かいます。

 

王寺駅

王寺駅周辺は結構にぎわっていました。電車一本で大阪に出れますし、交通の利便性はかなりいい街なのかもしれませんね。

 

そして和歌山線の電車に乗車します!クロスシートでのんびり移動できるかと勝手に思っていましたがまさかのロングシート…。18きっぷなんかを利用した長距離列車旅はクロスシートがありがたいですね(笑)

 

この日は和歌山県橋本市まで移動し、橋本駅前のビジネスホテルで一泊しました。明日は高野山を観光する予定ですが、寺を見すぎているような気がしないでもありません(笑)。中々渋い旅ですね~。

最後までご覧いただきありがとうございました!

富山市クリーンセンターの展望台から立山を望む

今日は全国的に晴れていたようで、富山市も一日を通して天気が良かったです。

雲一つない青空が広がっていたので、クリーンセンターの展望台へ行って、立山連峰を見に行ってきました。(私は暇な大学生です。)

クリーンセンターは、富山市郊外にあるごみ処理場のことなのですが、ここのゴミ処理場には展望台があります。無料なので、気軽に行けるスポットですね。

 

富山地区広域圏クリーンセンター

かなり大きな建物で、かなり離れた場所からもこの建物を見ることができます。以前、石川県の七尾市からも、富山湾越しにこの建物を見ることができました。

ということは、逆に、この建物の展望台からは富山湾能登半島も見ることができるというわけですね。

北方向

実際に登ってみます。展望台の高さは80メートルあり、中々の高さです。上の写真は北方向(富山市街地、富山湾方面)です。花粉なのか黄砂なのか、少しかすんでいます。

ものすごーくうっすらですが、能登半島が見えています。

 

北東方向

北東方向(魚津、黒部方面)の写真です。遠くに富山湾が青く見えます。富山平野のスケール感が味わえますね。

 

東方向

東方向です。立山連峰が広がっています。写真中央のとんがった山が剱岳です。周りの山より少し雪が少なめに見えます。手前側の長閑な散居村の風景と、その背後に鎮座する立山の峰々が美しいの一言に尽きます。

 

鍬崎山・薬師岳方面

劔岳より南側の山々です。写真中央のとんがった山は鍬崎山です。鍬崎山は標高2,090メートルと、他の山より少し低めですが、手前側にある山のために、大きく見えています。鍬崎山は佐々成政埋蔵金伝説が伝わる山です。そしてそのすぐ右隣の、雪をたくさん被ってどっしりと構えている山は薬師岳(2,926メートル)です。

 

南方向

南方向の写真です。写真に写る大きな川は常願寺川です。その常願寺川の川べり(岩峅寺という地域にあります)には、雄山神社という、富山では有名な神社があります。写真には小さく雄山神社の白い鳥居が写っていますが分かりますでしょうか?

 

展望台内にある説明パネル

展望台内には、クリーンセンターのすぐ隣を流れる常願寺川についての説明パネルも展示されています。

ひとつ前のいたち川の記事でも、飛越地震のことについては軽く触れていますので、よかったらそちらもご覧ください。

 

 

 

展望台の様子

クリーンセンターの展望台は何気に初めて行きましたが、富山平野を360度眺めることができるとてもいい展望スポットです。今日みたいに立山が見える日は本当に絶景だと思います。夜景も綺麗なのでしょうけど、夜間は開いていません。(残念)。

秋の紅葉や冬の雪景色なんかも綺麗そうですね。また違う季節にも訪れたいなと思いました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!